ドラマについて放言

ドラマが原作ものばかりになったと騒がれて久しいが、よく考えたらそんなのは昔からだということに気がついた。
二時間ミステリーは半分ぐらい原作ものだと思う。金田一浅見光彦、十津川、「家政婦は見た」…。連続ドラマだって柴門ふみドラマといえば90年代のブランドだし、IWGPだってそう。昼ドラの真珠夫人、はるちゃんもそうだし、マイナーどこを攻めれば、東京大学物語、七瀬ふたたび、闇のパープル・アイ…とまぁ、枚挙にいとまがない。
ここ一年ほどだろうか、原作ものの増加をして「番組制作サイドの創作力が落ちた」だの「原作でヒットしているとテレビ局内で企画が通りやすい」なんていわれているし、俺も言ってきたような気がするが、昔を遡ったら結構いまさらだと思えてきた。
そういえばバラエティーも一時期パクリパクられをやってクリエイティビティの喪失を批判されてた。古くは「なんでも鑑定団」に対する「お宝ハンティング勝負は目利き」、新しくは「行列のできる法律相談所」に対する「ザ・ジャッジ!」。なんだ、どこも変わらない。
ふと思ったのだが、最近の新しい有名ドラマ脚本家ってあんまり聞かなくはないか。この分野はあんまり詳しくないのだが(以下まったく漢字に自信なし)、倉本聡向田邦子山田太一橋田寿賀子といった大御所クラスに、内館牧子(年はいってるけど出てきたのは最近な気がする)、北川悦吏子、野島伸二、三谷幸喜といったベテランがいる。ここまでのクラスって、基本はオリジナルストーリーを作ってきた脚本家だから(だよね?)、冠がついたり、脚本家ブランドも育ったりしたのだと思う。
しかし、その下っていうとクドカン岡田恵和ぐらいしか思いつかない。とはいえ岡田はブランドになるまで有名ではないと思うし、工藤官九郎はブランドになってはいるものの、出世作IWGPは石田由衣の小説だし、初監督した映画すら漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」だ。オリジナルからドラマを作れる人材がどっかに取られてる。最近になって突然ではなく、これは10年ぐらいかけてじわじわと人材不足がやってきているのではないのか。ドラマ界にオリジナルを作る力がないってのは、つまりそういうことですか?
いわゆるキャスティングドラマの過剰なまでの隆盛が脚本家をがんじがらめにしてるという向きもある。キャスティングに、ストーリーに芸能事務所の事情が入り込む。自分でストーリーを作れなければ、作り手としては面白くない。山田太一がどっかでそんなこと言ってるのも聞いたことがある。元凶はこれか。
漫画や小説の世界はそれがない。新人も傑作もとめどなく出てくる。芸能界の事情はどうでもいい。エロのコードと不謹慎発言あたりを気をつければ、だいたい作り手の考えと人気だけで作品は成り立つ。
連続ドラマ的なキャスティングができないストーリーは、どんなに面白くともアニメにしかならないと言ったのは押井守だったか。話を広げ過ぎてこんがらがって、まとめるのを放棄してしまうのだが、テレビドラマがこれからもキャスティング重視でいくんなら、漫画原作者みたいに、プロデューサーとは違う「ドラマ原作者」って職業を作れば著作権料とか払わないで済むし、ドラマ制作の場から創作力を失わせなくて済むんじゃないか、と。
あ、もしかしてこれ、所謂監督の仕事?